輪島(能登),金沢,山中(いずれも加賀)などを回り,日本海沿岸を南下して瀬戸内に入り,故郷を待ち望む“椀屋さん”(椀舟行商人)たちの眼に真っ先に映るのは,綱敷天満宮の鳥居と志島ヶ原の白砂青松の風景であったのではなかろうか。

桜井漆器産業の発展史を語る上で欠かせない加賀と能登は,白砂青松の「白」と「青」を象徴する土地柄でもある。

“加賀はカガでカヌカまたはコウゲと呼ばれ,草地に付けられる地名で,全国各地に見られる”

“加賀を代表する山は白山である。白山は頂上がいつも雪を頂いている姿が遠望でき,海上交通の目印とされていたことから,ハクサンの呼称が生まれたとされている。古代の山岳信仰がいつか修験と結びつき,生まれ清まる山ということでシラヤマとも呼ばれることになった。シラは誕生を意味する。古代のククリ姫は貴人の赤ん坊を水に浸す役であったが,白山の奥宮に鎮座する白山比咩(しらやまひめ)神社は菊理(くくり)姫を祀る”(谷川健一「谷川健一 全集15 地名二」)

   
加賀は清々しい「白」の国である。

“加賀が後背地に険しい山地を控えているのに対して,能登国は四面を海に囲まれている”

“七尾湾は咽喉(のど)のような形をしている。咽喉は「飲み()」の略で,「門」は水門(みなと)のように物の入る所をいう。『能登志徴』も能登の語源について潮を呑み込む海門の義としている”

“能登の先端にある珠洲の地名については各説ある。(中略)珠洲市にある山伏山(172m)はもと鈴ヶ岳(須須ヶ岳)と呼ばれて,山頂に海上交通の守護神として美穂須須美命を祀ったという説がある。美穂は美称であり,須須美は(すすみ)・すなわち古代の烽火(ほうか)を指す。そうすれば珠洲の地名もススミに由来するかも分からない。それを裏書きするように,山伏山の北のふもとには狼煙(のろし)という地名が残っている”

烽火に最適なのが乾燥したオオカミの糞であり,モンゴルの草原ではオオカミの糞が烽火に使われたとのこと。異国船来襲を告げるために珠洲岬の近傍の山で烽火を上げたとの説である。
渤海国からの使者が初めて目にする陸地ゆえ,“倭島”(輪島)と呼んだとの説もある。

“アオという地名にも海人の足跡が見られる。金沢市粟崎(あわがさき)は大野川口にあり,古くは青崎または阿尾ヶ崎と記され,海運業で栄えた所である”

“そこを北上すると,能登一の宮気多大社のある羽咋市粟生(あお)町にいたる。(中略)能登半島の東側では,七尾市鵜浦(うのうら)町に阿於(あお)谷がある。”

“氷見市の阿尾(あお)がある。『万葉集』には「阿呼(あを)の浦」と記され,定置網のさかんな所として知られている。青網の地名もある”

“粟崎,粟生,阿尾の地名はすべて青に由来すると考えられる”

“能登には海上から寄り来る神の伝承が多い。羽咋郡志賀町に安津見の地名がある。古代の海人族である安曇氏に由縁の地名である。そこに式内社の奈豆美比咩(なつみひめ)神社が鎮座する。奈は安の誤りである。安曇氏を祀る海神の娘の豊玉姫が安豆美比咩であり,二の神は桃の木船に乗って桃の浦(志賀町百浦)に着き,川をさかのぼってきたという伝説を持っている” (以上,谷川健一「谷川健一 全集15 地名二」)

能登には海の「青」がふさわしい。
    
谷川健一は,地名には“共同感情を喚起する力”があるとする。土地と地名は固くむすびつき,土地は生きた命をもち,名前さえもつ人格であったとする。

“たとえば,伊予の国は愛比売(えひめ)とある。愛比売はいまは愛媛と書くが,これはもともと国名ではなく,伊予の国につけられた人名であった。愛媛は兄媛(えひめ)乙媛(おとひめ)に対していう。姉が兄で,妹が乙である。土地は魂や人格をもち,その名前が地名であった”

能登は,“共同感情の喚起力”を象徴するような地名の宝庫である。
珠洲市との境に近い能登町“恋路海岸”。穏やかな波の打ち寄せる砂浜と鳥居,弁天島,見附島(軍艦島)が指呼の間に浮かび,日の出の美しさに息をのむ。伊予の志島ヶ原から眺める瀬戸内の光景をも思い起こさせる景観である。

“深い恋仲となった2人の若者,鍋乃と助三郎がいました。鍋乃に思いを寄せる恋仇の男の罠のため,助三郎は海の深みにはまって命を落としてしまいました。鍋乃も助三郎の後を追って海に身を投げ死んでしまうという悲しい恋の伝説から,いつしかこの地が「恋路」と呼ばれるようになりました”(ほっと石川旅ねっと「恋路海岸」)

恋路海岸の最寄り駅として,のと鉄道能登線“恋路駅”があった。隣接する松波駅からの“松波発 恋路行き”切符は,記念品として人気があり,かつての恋路駅には,いまも恋人たちが全国から訪れる。
2005年(平成17年)に廃線となり41年間の役割をおえた旧恋路駅を守り続けている人たちがいる。恋路の集落に隣接する珠洲市宝立町宗玄にある“宗玄酒造”のスタッフが,日々の清掃から恋路行き切符の販売などを受け持っている。
奥能登最古の能登杜氏発祥の酒蔵“宗玄酒造”の創業は1768年(明和5年)。桜井が天領となり,椀舟のルーツとなる廻船業者が航路を伸ばし始めた時期に重なる。

旧能登線が廃止となったことから宗玄トンネル(135m)を酒蔵として利用するため,周辺の線路の土地を購入したところ,恋路駅の土地も含まれていたとのこと。
年間を通して約12℃に保たれる宗玄トンネル内で貯蔵する“隧道蔵酒”が,老舗酒蔵に加わる。進取果敢の気風は,伝統をいまに受け継ぐ能登杜氏の酒蔵にもみなぎる。

2024年(令和6年)1月1日午後4時10分,強烈な揺れがこの酒蔵をも襲う。
輪島,能登町,珠洲を含む,奥能登の酒蔵すべてが再開の見通しすら立たない極めて厳しい局面に直面する。(以下,各酒蔵からの発信情報は,2024年1月21日に閲覧した内容に基づく)

【2024年1月5日】白藤酒造店(輪島市) ※一部引用
1月1日に発生した大地震により店舗,事務所等が崩壊,酒蔵,貯蔵蔵全てが甚大な被害が発生しており全く機能しておりません。(弊社に関しては幸いなことに人的被害はありませんでした)
現在,酒造,一般業務は全て停止しております。業務再開の目処は立っておりません。
電話も不通となっており,お問い合わせメールも読むことができません。

【2024年1月9日】数馬酒造(能登町) ※一部引用
酒蔵内の復旧作業を始めるにあたり,石川県地震被災建築物応急危険度判定士の方に建物調査を行って頂きました。建物が激しく傾斜している箇所,地盤沈下している箇所など,立ち入りが危険な場所を改めて確認しました。
当日は約半数の9名の社員が出社し,立ち入り可能な箇所より全員で片付け作業を行いました。
まずは通路の確保のため,割れた扉,崩れた酒瓶の片付け,汚泥の清掃を行いながら,損傷のない商品を引き上げ,安全と思われる場所に移動させました。
余震の可能性がある中で各所に注意を払いながらの作業となり,被害箇所が広範囲であることから酒蔵の復旧には遠い道のりがあることを思い知ります。

2007年(平成19年)3月25日に発生した能登半島地震(最大震度6強)から復興を果たした奥能登の酒蔵魂は,既に沸き立ちはじめている。

【2024年1月13日】宗玄酒造(珠洲市) ※一部引用
日本全国からたくさんのご支援と応援のお声により,蔵人はじめ従業員一同奮い立ち,中止しておりました酒造りの行程を再開することに致しました。
既存の商品も確認中であり,時期尚早ですが中止した酒造もいつ出荷できるかお知らせできませんが,出来るだけはやく皆様のお手元に届くよう頑張っております。

金沢学院大学経済学部教授 佐藤淳 氏は,2011年東日本大震災の復興支援を契機とした特定名称酒需要のⅤ字回復の実績を踏まえ,日本酒と単式蒸留焼酎を“國酒”と総称して,議論を展開する。

“(日本酒にみられる)日本市場の階層化と構造変化は,他の地域産業や伝統産業に対しても同じような影響を与えている可能性が高い。國酒産業と他の地域・伝統産業は,長い歴史や,職人技など共通点が多く,國酒と同じように,高級化やブランド化,海外輸出強化が可能とみられる。したがって,本論考のスタイルは國酒に限らず,幅広く他の食品産業や地域ブランド論として展開することが可能とみられる。そこまで至れば,國酒やツーリズムに限定されることなく,地域経済全体の振興に繋がる。また,それは,内発型の移出産業振興策が未成立であったとされる地域経済学の課題を解決するであろう”

“経済の成熟化や高所得インバウンドの増加は,模倣が困難な地域資源を繋いで物語を創ることによるブランド化を受容しつつある。典型は國酒の高級酒分野である。それは地域ツーリズムも活性化させる可能性が高い。同様のことは,農林水産業や他の食品加工業にも期待できる。(中略)地域経済の課題である幅広い内発型の移出産業振興が可能となる”

佐藤氏は,ブランド化のポイントとして“伝統の現代化”を指摘する。伝統の現代化は,景観形成・改善にも効果を発揮するという。

“伝統の現代化は,垂直的差別化,水平的差別化,双方に有効な手段となる。しかも,國酒をはじめとする地域の伝統産業のみならず,都市や郊外の景観を改善することにも繋がる”

“伝統の現代化による景観形成の例としては,例えば金沢駅がある。金沢駅は,集成材の木造建築物である鼓門がデザインとして重要な地位を占めている”

“金沢駅と対照的なのが京都駅である。現代建築の造形としては,京都駅の方が優れているのかもしれない。しかし,金沢駅は伝統である木造建築をなんとか取り入れようとしたのに対し,京都駅には,そのような発想はみられない”

京都においては,伝統文化とは,古い文化遺産であるとの認識であり,かかる見識は日本の常識ともいえるとした上で,

“しかし,文化遺産の保存は結構だとしても,街全体を文化遺産とすることは不可能に近い。その結果,多くの街において,景観の混乱がみられる。鉄やコンクリートのビルディングと,木造の低層建築物が混在しているのである。すなわち日本の景観問題とは,かつての伝統文化と,現代文化との接点を見失っていることに求められる”

古都における駅舎の景観問題を具体例として,國酒産業を含む伝統産業の成長戦略が提案される。

“國酒産業の一部では,伝統を形ではなく,美意識や価値観,新技術やイノベーションの源泉として捉え直し,現代化して成功している。この手法を建築に応用することができれば,日本の景観問題は大きく改善される。木を多用する隈研吾が注目されるのは,伝統の現代化の好例だからであろう。都市や郊外の景観は日本観光の数少ない弱点である。景観を改善できれば,観光の高度化に寄与する”

“文化遺産的な伝統には,現代科学の適用によって垂直的差別化(価格当たり機能・品質)が可能となる領域が潜んでいるとみられる。さらに伝統に潜む地域固有の要素を見出せば,それは水平的差別化(意味等)の有効な手段となり,キャッチアップし難いものとなる。これらを一言で表現すると伝統の現代化である。伝統の現代化はこれからの地域を支える有力な戦略となるだろう。伝統の現代化が適用可能な具体的分野や産業の探索は,残された課題であろう”

“伝統の現代化”とは,“なつかしい未来”のひとつのカタチなのかもしれない。

米国の旅行雑誌“トラベル・アンド・レジャー”ウェブ版(2011年)により“世界で最も美しい14駅”に日本で唯一選ばれたのが金沢駅(第6位)。東口広場に構える “鼓門”は,木造建築物としてはもちろん,“工芸品”としても鑑賞に値する。
戦後の国土緑化推進運動の一環として,植林が続けられた人工林は,樹齢が50年以上となる割合が50%を超え,利用期を迎えている。“伝統の現代化”により創出される作品が,木材の地産地消を推進する。

沈金技術を惜しみなく伝授するなど,桜井漆器の飛躍の礎となった輪島塗。素地には輪島周辺に生育するアテの一種たるマアテが主に用いられている。
石川県の木にも制定されているアテとは,ヒノキアスナロ(檜翌檜)の方言による呼称である。別称を能登ヒバという。牧野富太郎が命名したことから学名は“Thujopsis dolaburata SIEBOLD et ZUCCARINI var.hondai MAKINO”である。

アテ(能登ヒバ)の材質は,きめ細かで粘り強く,耐久性に富んでいて,光沢と香気があり,帯黄白色で優美。輪島の漆器職人,能登杜氏の気質は,アテを育む能登の気候,風土に由来するのかもしれない。

能登の人情を称して“能登はやさしや土までも”という。土になぞらえるところが,能登らしさのあらわれである。

能登杜氏の造る酒は“濃厚で華やか”とのこと。“大吟醸酒造りの名手を多く輩出し,吟醸酒造りは「能登流が一番」といわれる”(能登町サイト「能登杜氏の酒」)

椀舟発祥の原点となり,輪島とともに桜井漆器の繁栄に尽くしてくれた紀州の黒江。1866年(慶応2年)創業 名手酒造店の銘酒“黒牛”を醸すのは,能登杜氏組合で研修を受けた社員杜氏である。

佐藤淳 氏の提言に即して,能登の酒蔵の復興が,能登地域の再生につながること,能登の銘酒の需要回復が,日本酒市場全体の需要拡大にもつながることを確信する。
“伝統の現代化が適用可能な具体的分野や産業”の雄たる輪島漆器業界にも,同じく希望の光が差し込むことを。
必ずや再建を遂げる輪島塗の酒器で,能登杜氏の醸した“濃厚で華やか”を堪能できる日が早からんことを。

桜井の酒造家に生まれ,酒を大いに嗜み国土の復興を説いた村上龍太郎も,一献を交えてくれることだろう。(おわり)

文:穂積 薫

主な参考文献
・「村上龍太郎」村上龍太郎記念出版会 1966年
・小田隆則「海岸林をつくった人々」北斗出版 2003年
・近藤福太郎「伊予桜井漆器の研究」ふるさとをしらべる会 1986年
・谷川健一「谷川健一全集15 地名二」冨山房インターナショナル 2013年
・佐藤淳「國酒の地域経済学 伝統の現代化と地域の有意味化」文眞堂 2021年
・鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル 2012年8月号」鉄道ジャーナル社 2012年
・坂口謹一郎「日本の酒」岩波書店 2020年
・「一献の系譜」映画一献の系譜製作上映委員会2015年

映画“一献の系譜”

“神代の時代からその地にはりついて,ひとつの文化として継続して守り続けているのが酒屋者”
石井かほり監督が,能登杜氏の生き様に迫ったドキュメンタリー映画“一献の系譜”で,能登杜氏四天王の一人が腹の底から唸るように発する言葉です。
谷川健一がいう“地霊もしくは土地の精霊に対する古代人の信仰があり,地名には地霊もしくは土地の精霊が宿る”ことに通底する“能登の土の匂い”を感じさせます。
能登への訪問がままならない現在,愛媛にいても,能登の土の香りにふれることができます。
“珠洲岬”(松山市高砂町2丁目)には,宗玄酒造の銘醸が取り揃えてあり,能登杜氏の醸した一献に,復旧・復興への想いを重ねることができます。(入荷は復旧状況により影響を受けることも想定されます。要確認)


 

 

 


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