愛媛県旧庄内(しょうない)河之内(かわのうち)(現在の西条市河之内)。大明神(だいみょうじん)川の奥まったところの意とも解されている河之内に,明治19年 山内勇吉(やまうちゆうきち)は産声を上げた。庄内村誌によると,愛媛県西条中学校を卒業後,故郷を離れて遊学,大阪に居住し鉱山等の地下資源開発事業を興した。

大阪で事業に成功したとみられる山内は,自らの療養を兼ねて, 昭和21年有馬温泉に「炭酸温泉科学研究所」を設立するのであるが,有馬での山内の事跡については「日本地球化学会ニュース No.190(2007年8月)」に掲載された当時の日本地球化学会会長 松田准一(まつだじゅんいち)氏のコラム「 幻の「地球化学発祥の碑」(実は「泉を科学す」の碑)の顛末記」に詳細かつ地球化学の門外漢にもわかり易い文章がまとめられているので,以下に一部引用させて頂く次第。 

「全国各大学の専門学者を集め,拾数年に亘り,気象,地質,生物,原子化学の深度の研究を為しつつあり」とあり,最後には「有馬の八千余坪の邸内に「泉を科学」「杉ヶ谷行宮址」の二大碑を建立す」

とある。この「杉ヶ谷行宮(あんぐう)址」の碑文には

「紀元千二百九十一年の九月より舒明,孝徳の二帝に亘って左右大臣群卿百官を従えられ 行幸遊ばるる事前後三回行宮を御造営御駐輦十一ヵ月に及ばれた聖地であります 高松宮殿下昭和二十七年十二月御台臨を記念し之を建つ 昭和二十九年四月 炭酸温泉主 山内勇吉」

山内の故郷 河之内は,同じく舒明天皇入湯伝承を誇る本谷(ほんだに)温泉を擁する地。伊予の名湯から日本最古を誇る有馬の湯へと導かれたのであろうか。西条市出身で温泉科学といえば,温泉療法の先駆者 真鍋嘉一郎(まなべかいちろう)(明治11年~昭和16年)を思い起こさずにはいられない。臨床に生涯をささげ学位を請求せずに学士で通した東京帝国大学医学部教授。さて,山内については,同じく松田氏のコラムより

「道楽で温泉研究をしたぐらいだから,よほど,変わった人に見えたのだろう。
面白いのは,寄せられた祝辞にも「人は言う。山内氏を奇人,変人と。正に然り。
だが世の常の奇人,変人ではない。奇特なる人の奇人であり,良く変わった人の変人である」

西条市出身の奇特いや“貴徳”な二人が,日本の温泉科学の発展に偉大な功績を残した。このことは伝承ではなく,ゆるぎない史実のようだ。

文:穂積 薫


本谷温泉館
(愛媛県西条市河之内甲494)
https://www.hondani-onsen.com/
舒明天皇,斉明天皇の入湯伝承を有し,「伊予の三湯」と称される名湯。当社は,山内勇吉の故郷で,この由緒ある温泉をいまに受け継いでいます。

 

 

 

CONTENTS

  1. Vol.1 蒼社川 静かに流れよ ~ 改名にこめられた鈍川の人々のおもい
  2. Vol.2 朝倉ガールズ ~ かけるぼくらにわたしらに あすの世界が待っている
  3. Vol.3 峰越しの道 ~ 奥伊予・奥四万十にさしこむ文化の光
  4. Vol.4 舒明天皇ゆかりの二湯 ~有馬の石碑にみる山内勇吉
  5. Vol.5 源氏の白馬か羊の群れか?~ カルスト台地にみる戦争と平和
  6. Vol.6 風と土の尋ね人~ 新井満,岩波ホール,そしてSulikoとQvevri

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